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【 私自身の受験体験 】
私が芸大受験を目指して絵を習い始めたのは、岡山の高校1年のときでした。その当時の岡山市では芸大受験予備校などの存在はなく、高校の美術の先生などのつてを頼って勉強するしかありませんでした。3人の先生に半年ずつ週末に教室に通って習いました。後は放課後美術室で自習したり、自宅で描いたり・・・。現在ではいろいな教育施設があることでしょうが、当初の岡山での情報は限られ、受験校だった高校では理解してくれる人も少なく、今思えば苦しい時代でした。
予備校との出会いは、高校卒業直前になります。私は高校の卒業生のつてを頼って、はやばやと受験のために東京に出ました。その予備校に通い、思ったのは「絵ってこんなに自由で、広がりを持っている素晴らしいものだかったのか」ということ。目から鱗が落ちるようでした。
東京の有名絵画予備校の講師は、だいたいが東京芸大の大学院卒の方で、厚みを持った知識で個性を伸ばしてくださいました。また全国から同じ立場の仲間が集まってきていて、励みになりましたし。一気に世界が広がったような思いがしたのを覚えています。
現役の東京芸大受験は、一次試験突破したものの失敗。その後、東京で絵画予備校に通い浪人生活を2年間しました。厳しくも楽しい浪人生活でした。あまりに絵に熱中しすぎて1浪目は体調を壊して受験に失敗したほどです(笑) 小さな予備校でしたが、しっかりした考えを持った先生が多かったように思います。その予備校で訓練されたことは「個性を伸ばす」ということに尽きます。芸大受験には、技術的の面をクリアーするだけではなく、その人がどのような個性―作家性を持っているかが問われます。
幸いだったことは、その予備校が少人数だったこと、先生方は色々な相談にも付き合ってくださり、自分の持ち味や取り組み方などの精神面について、じっくり考え熟成する機会を持てたことです。先生方の作家活動を通して啓蒙されたことも多かったと思います。とにかく絵を描き、一つ一つの課題に丁寧に取り組みました。「あせっても、しゃーないやんけー」と関西人の先生によく言われました(笑)
二浪目の受験直前でしたが、私の祖母が他界しました。その時期は、試験を想定した課題が短時間で繰り返されるのですが、私は毎朝早起きして、祖母の絵を描き始めました。もちろん本当に短い時間でしたが、毎日続けました。あせりも生まれる時期ですが、まったく私の芯はぶれませんでした。そして、東京芸大合格。祖母のおかげだと思っています。
この当時、身に着けたことは今も変わらず仕事に生かされています。それは自分の内面と、対象になる外の世界に、じっくり真摯に取り組むこと。(普段の生活は違いますけど(笑)) 個性というものは、技術や表面的なものではなく、そのような積み上げの中から、自然発生してくるように思っています。
まだまだ、私もこれからだとも思います。教室を開いて、改めて気付かされることもたくさん有ります。
私の芸術活動は次のサイトをご覧ください 。
百工房 歳森 勲
http://www.100aged.net
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